平成日本の風景と光景
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地方自治体の事業仕分けはいつ始まる?
福岡県大野城市に住む知人から、興味があればと数枚の写真を送って来た。そのどれもが、その土地の県や市が設置した「天下り法人」が、地域の各所に残した「仕事」の証跡らしかった。

これらの自治体でもご多分に漏れず、協議会だの協会だの基金だのを思いつくままにせっせと作り、もっともらしい言い訳をつくろい、練り上げて、県庁や市役所などからの天下り公務員など、公金にたかる面々の懐を肥やしてやることに熱心であるように見える。


「空港環境整備協会」という存在を知ったのは、この写真からである。これは大野城市役所の真向かいにあるバス停を至近距離から撮ったものだそうで、以前このバス停は、西日本鉄道株式会社専用のバス停で、停留所名を記した標柱が一本ひょろっと立っていただけだった。バス事業の不振にあえぐ西鉄としては、バスを待つ乗客のためにせめて天蓋くらいはと思っても造ろうに造れなかったのであろう。ところが数年前、大野城市がコミュニティ・バスの運行を始めて、この場所にも停めることにしたとき、写真に見るような立派な天蓋と荷物置きがいきなり建造されたという。写真には「助成」とある。「空港環境整備協会」は随分とお金持ちの協会らしいが、それにしても何でこのような協会が市のバス事業に助成なのか。「空港環境整備協会」とは一体なにか。

少し前、知人は大野城市の牛頸地区を歩いていて、次から次へとご大層な名前に行き当たったので、取り敢えずはカメラに収めてきたそうである。短時間の散策の間に見知っただけでもこれだけの数である。こうしてみると、県や市が一体どれだけの数の天下り法人を抱えているのか見当もつかないと言う。知人は殆どすべてが天下り法人と固く信じているようなのである。いやでも気付かされるのは、「福祉」とか「環境」の文字の露骨なまでの大行進である。この種の言葉さえ担ぎ出しておけば市民をうまく欺けると思っているのだろうか。

「大野城市社会福祉協議会」


「大野城環境処理センター安全協議会」


「(財)福岡県水源の森基金」


「大野城大宰府環境施設組合」


「福岡都市圏環境行政推進協議会」

# by ekisaitosuru | 2009-12-03 16:58 | 行政 | Trackback | Comments(0)
米軍岩国基地
山陽新幹線の新岩国駅に降り立ったが、駅前には、土地の地主たちが争って作ったような有料駐車場がいくつかあるほか小さなホテルが1軒、あとは商店が二つ三つあるだけだった。バスが、列車の到着にあわせて発着しているようだった。このバスで山陽本線の岩国駅や錦帯橋に向かうほかなかった。

岩国駅の観光案内所は閉まっていた。とびらに月曜日は定休日との張り紙が貼りつけてあった。呆れ顔の私を売店の小母さんが見て笑っていた。岩国は観光で食っているのではなかったか。そういえば、どの駅の構内の観光案内所も、朝なかなか店開きしないし、夕方は早々と店仕舞いしてしまう。ここが確かにお役所の一部なんだということをその都度思い知らされる羽目になる。世の中どんどん変わっているようで、その実ちっとも変わっていないようである。

ある大手旅行会社の店があったので、そこで情報を仕入れた。岩国駅前には新しいビジネスホテルが次々と建っているようだ。携帯電話でその一つに空室の有無をただすと、直ちに有りますとの答が返ってきた。4時ごろ予報どおり雨となった。大降りではないが、外出は傘持参でするほかはない。

駅前のバス・ターミナルで聞くと、米軍岩国基地の表門に行くには、山陽本線に沿った国道188号線を柳井方面に向かうバスに乗り、「空港前」バス停で降りて南に10分ほど歩けばよいと教えてくれた。ホテルでもらった一つの地図には、そこは海上自衛隊・米軍岩国基地正門とあった。別のもう一枚の地図には空港正門とあった。念のためバスの運転手に確かめてみると、空港とはいうが、民間の飛行機の発着はないという話だった。

バスを降りて行くと、程なく米軍基地の大きな看板が目に飛び込んできた。看板の隅には海上自衛隊の文字も小さく出ていた。できるだけ近づいてそれをカメラに収めた。そこは確かに車が出入りする広い出入口だったが、どこにも門柱や門扉らしいものはなかった。ただ、外部との境界線を示すかに引いた太い黄色の線があった。


後日、「岩国市」のホームページを検索すると、次のような記事が現われた。

「米軍岩国基地」 (正式名称 : 米海兵隊岩国航空基地 ) は、錦帯橋下流の錦川河口に広がる三角州に、面積575ha (甲子園球場145個分の広さ) の敷地を占める、日本本土で唯一の米海兵隊の航空基地です。

元々は1938年 (昭和13年) に旧日本海軍の岩国海軍航空隊として建設されたもので、戦後、米英軍が駐留しました。その後、1962年 (昭和37年) に正式に米海兵隊の基地となり、ベトナム戦争では出撃基地として利用され、また湾岸戦争でも兵員が派遣されました。

岩国市の市街化区域の1/4を占める基地の敷地内は、すべて治外法権で、フェンスの向こうは日本でありながら、事実上アメリカ合衆国です。もちろん関係者以外は立ち入りできません。近年はテロや戦争に備えてか、入口の警備も大変厳重で、頑丈そうなバリケードが設備されています。最近、在日米軍再編問題も絡んでか、特にナーバスになっており、フェンスの外からでも基地にカメラを向けると、基地の警察隊に職務質問されることもあり、一般の観光とはまったく様子が異なりますのでご注意ください。

ひょっとすると、米軍基地拡大に反対した井原勝介前市長が、まだ市長であった時に入れた記事を消し忘れてそのまま残っているのかも知れない。

翌朝まだ白くかかっていた雲もすこしずつ晴れていって、昼頃には、春の日の輝きが地上の緑をきらきらと躍らせていた。新岩国駅に戻るのに、今度はバスをやめ、岩国駅から錦川清流線で行くことにした。本数はバスほど多くはないが、運賃は少し安かった。御庄(みしょう)で降りれば、新岩国駅はすぐそばだった。

新岩国駅に着いてみると、つい今しがた一本出たばかりだった。つぎの列車まで一時間待たなくてはならなかった。駅の構内でぶらぶらしていると、その一隅に、等身大の3体の人形が立っているのに気がついた。みな鵜飼の船に乗り込んでいた。錦川の鵜飼をもっと知ってもらおうと、旅客に見せるために作ったものだ。

近づいてみて、私はわが目を疑った。3体とも頭部は紛れもなく若い白人男性だった。ここで、なぜ白人なんだろう。岩国の人のメンタリティをどう推し測ればよいのか、誰かに一度聞いてみたいと思った。









# by ekisaitosuru | 2009-05-14 18:21 | 在日米軍 | Trackback | Comments(0)
山口サビエル記念聖堂
室町時代、西の京といわれた山口は、今は訪れる人も少ない静かな小都市だった。国宝、瑠璃光寺五重塔を見てのかえり、ケヤキの大木が立ち並ぶ、緑滴る並木道の切れ目から、てっぺんに奇妙な飾りを付けた二本の高々とした白い四角柱がみえた。通りかかりの人に聞くと、ザビエル教会だという。

そういえば山口は、ザビエルが大内氏の許しをえてキリスト教の布教活動を始めた土地だった。あの四角柱の根っこに何があるのかも見てみたい。

まだ真新しい三角形をした白い教会が小高い丘の一角に立っていた。キリスト教、特にその中でもカトリック教の教会堂はたいてい、長崎の大浦天主堂などの例に見られるように、高い場所を択んで見上げるように高い尖塔を中央にして建てた建物が、あたりに強烈な威圧感をあたえて立っていることが多いが、ここではこの特徴がやや和らいでいた。(写真は、山口市観光案内処のホームページから借用)


この教会は、正しくは山口サビエル記念聖堂といった。礼拝堂は二階にあって、行くと案の定、信者か非ずか日本人どうしらしい二人の結婚式の真っ最中だった。

一階はクリスチャン記念館と名づけた展示室だった。入って行くと、若い女性に呼び止められた。300円の入館料が要るという。「あれ、入館料が要るの?そんなこと何処にも書いてなかったよ」と言うと、彼女は「ここに書いてあります」と言って、仕切りのガラスの壁の隅を指さした。マジックで料金を書いた紙切れが貼ってあった。西洋人ないしキリスト教に特有の偽善の匂いをかすかにかいだような気がした。

一つ興味深い物が目に留まった。十字架を握って高くかかげたザビエルが、甲冑をつけ武器を手にした数人のポルトガル兵といっしょに南洋のどこかの島に上陸しようとしている絵のパネルと、その説明板である。美辞麗句を並べた説明板の内容とはうらはらに、異境の土地でのキリスト教伝導と征服支配は一体だったという、今では常識となっている歴史事実がいや応なく思い出された。


# by ekisaitosuru | 2009-04-28 20:34 | キリスト教 | Trackback | Comments(0)
<福岡県の現実・その一> 破廉恥な公共工事、これが麻生県政!
福岡市の南郊、春日市を貫いて流れる牛頸川は、大野城市に入って御笠川に合流する。

その一部、県立春日公園に近い春日二丁目と春日三丁目の間ほぼ300メートルの区間、ゆるやかに蛇行しながら流れていくあたりを、福岡県那珂川土木事務所が執拗にいじくり回している。


早春とはいえ未だうすら寒い3月の中旬、その日は青空が広がって、しのび寄る暖かさに心がなごむ昼過ぎだった。久々に遠出の散歩をかねて春日公園に向かった。

いつものように、元宮公園の裏手の川に沿った道に出る。そこで又もや、川床に入ったオレンジ色のブルドーザーやショベルを見たのだ。又もやというのは、10年ほど前にも、その近くの川底でブルドーザー、ショベルを動かしながら働いている人たちを見ていたのである。工事のあと出来上がったのは、水流の細くなってしまった川床の豪華な遊歩道だった。












この元宮公園や春日幼稚園の裏手の道を、月に2、3度は通っている。その都度いやでもこの遊歩道を見下ろすことになるが、この10年ほどの間、この遊歩道に下りて散策を楽しんでいるような人影を見かけることは一度もなかった。たまたま見かけなかっただけだと言われるかも知れない。だが、10年というのは、そう軽く言いあしらわれるような期間ではない。
そのことは、10年後の今の姿が、紛れもなく証言してくれないだろうか。
















今の工事は、10年前の工事のすぐ上流の区間で行われているようだが、よく見ると既に出来上がった個所もあって、荒れやすい川床に何故こんなものがと、目を疑うばかりの豪勢な遊歩道の一部が、昼下がりの日の光をキラキラと跳ねかえしていた。












国も、県も、市町村も、等しく財政危機にあえいでいて、必要な行政需要に十分に応えられずに苦しんでいると聞く。麻生知事は何のためにこのような馬鹿げた工事にいそしむのか?


# by ekisaitosuru | 2009-04-14 23:23 | 行政 | Trackback | Comments(0)
米海軍佐世保基地をかいま見る
一夜明けると、前の日こやみなく降り続いていた雨があがって、朝の時間が過ぎ行くほどに、雲の切れ目からのぞく青空がしだいに広がって行った。

風はまだやや冷たかったが、早春の暖気はすでにただよっていて、頬をなぶる海風が快い響きをかなでた。
佐世保に来たからには米軍の軍港も眺めておきたい。私は四ヶ町アーケードを途中から抜けて佐世保川にかかる平瀬橋を渡り、そのまままっすぐ西を向いて歩いた。

大型の車が行きかう道の左側は米海軍佐世保基地だった。道に沿って有刺鉄線を上端で外に傾けてつけた金網のフェンスが、目地の限りどこまでも続いていた。50メートルおきぐらいに大きな青い看板がフェンスに取り付けられていて、厳しく進入禁止を告げていた。

ほどなくメインゲートの前に来る。植え込みのある中央分離帯の両側の進入路と外出路の道幅に大きな違いがあるのが目を引いた。しかも広い方の出口には見慣れぬものがあった。鮫の歯にも似た鋭い鉄の刃が、幅広い出口をまたぐように、端から端まで一直線にとりつけてあった。

外に出る車が、次から次にガシャガシャと音を立ててそれを踏みつけ、難なく通り抜けて行った。もしも外からそこを通り抜けて中に入ろうとする車があったら、この鉄の刃がタイヤに刺さってそこで立ち往生するしかないだろう。このようなものが市中に取り付けられることは先ずあるまいと思われる代物だった。

メインゲートの進入路(左側)

メインゲートの外出路(右側)

メインゲートを横目に見遣って、フェンスに沿ってさらに進むと、道の右側に真新しい垢抜けした大型の建物の群が広い敷地内に点在しているのが目に入ってきた。その全域をレンガ色の高い塀がすきまなく囲んでいた。


ドラゴン・ヴェィルと名づけた米軍の家族住宅と生活施設の集中区画だった。

自動車が出入りする開口部は、この時間かたく閉ざされるようだった。それに太い鉄棒を並べてできた櫛の歯がくるくる回る外出専用の通用門もあった。鉄棒の間から覗いた構内は、人影ひとつ、物音ひとつなかった。


1979年度から2007年度までの29年の間、米海軍佐世保基地に日本政府が思いやり予算として計上して投じた金は、1400億円近くに達するが、そのうち家族住宅とその付属施設、すなわち汚水処理施設、汚水排水施設、雨水排水施設、運動施設、学校、託児所、診療所、厚生施設、宿泊施設、消防署、放送施設、などなどに使った金は、815億円にのぼる。因みに、米海軍佐世保基地が持っている家族住宅は、この地区と針尾住宅地区を合わせて600戸をかぞえる。

この米海軍用住宅地区に隣接して、また基地のメインゲートの真向かいに位置して、ひっそりと貧弱な姿で、わが日本国の海上自衛隊佐世保地方総監部があった。それは何とも心淋しいたたずまいだった。

基地のメインゲートの前から北に向かって通じている大きな道があるのだが、工事中として閉鎖され、入ることができなかった。道路の補修というものではなかった。その少し先に西九州自動車道路の巨大なインターチェンジを作っていて、建造工事が今たけなわなのだった。誰が見ても、それは米海軍基地の用に供するものとしか見えなかった。政府は、そればかりではないと言い放って何も変わらないであろうが、おそらくは針尾住宅地区に住む500人余りの米兵の自動車通勤の便を図ったものであろう。

私は、その日の午後、博多行き特急みどりで佐世保を後にした。列車が動き出してしばらくは、沿線にぎっしりと立ち並んだみすぼらしく古い家々と、ちらほらする貧しそうな人影を見ながら、またもや心淋しい気分におちいった。このような貧しい家々に住んであくせく働いている人々が、あの優雅な暮らしを送る米兵とその家族を支えているのだ。
# by ekisaitosuru | 2009-03-17 09:44 | 在日米軍 | Trackback | Comments(0)
真っ赤なハートAEDの大氾濫
 大きな赤いハートの張り紙が、日本国中津々浦々に散らばっている。

 大都市はいうに及ばず、あの町にもこの町でも、ビルや大きな建物の入り口や玄関にぺったりと貼りつけてあって誰の目にも必ずとまる、あの貼り紙だ。

 それは、そこを出入りする人々に、AED(心臓の突然の異常な動きを一時的に直す「自動体外式除細動器」というもの)がここにありますよと知らせている。

 2007/11/28 の化学工業日報によれば、AEDは、病院、学校などの公共施設にとどまらず企業内の設置も増加するなど、その市場は拡大を続けている。高速道路のサービスエリア367ヶ所にもすでに設置された。

 さて、百万都市、福岡市を取り巻くいくつかのベッドタウンは、この国にはまれな富裕な中小都市群なのだろうか。AEDの普及ぶりは並外れているように見える。

 そのうちの一つの自治体の役所をたずねた。あたりの街並みの平凡な構えとはうって変わった、ひときわ荘重な玄関。大きなガラス戸がひとりでに横滑りして入り口を大きく開ける。ガラス戸の延長面上のガラスの壁に貼りつけた紙が目に入った。大きく真っ赤なハートの下にAEDの文字がある。




 市役所での用務のあと、お隣の市民交流センターに向かった。するとその玄関にもAEDの赤い張り札。市役所とは別にここにも置いてあるのだった。




 市民交流センターの裏手には総合福祉センターの建物がある。予感とも確信ともつかぬものが胸をよぎる。念のため裏手に回って行ってみると、果たせるかな、その玄関にもAEDの張り紙が麗々しく貼ってあった。




 こうなると、すぐ近くの市民健康センターも気になる。行ってみるとやっぱりあの赤い張り紙はあった。




 おまけに、市役所のお向かいの大きなディスカウントストアにもそれはあった。




 ひとつの疑問がどうしても起る。一体、たかだか300メートル四方の区域内に、この種の機器が5基もなくてはならないものだろうか。そんなに沢山必要なんだろうか。 
 
 一体この国にAEDがどれだけあるんだろうか。この割で憶測してみると、おそらく何万台ではきくまい。何十万台という規模だろう。日本列島いたるところ真っ赤なハートマークの氾濫である。

 東京の文京区本郷にあるフクダ電子株式会社が欧州のフィリップスから輸入して国中で販売しているこのAEDは、さして大きな物ではないあの機体の中に何が詰まっているのか知らないが、1台23万8千円前後という高価な物である。

 福岡県について言えば、上記のような公共施設がAEDを購入するにあたってお金を出してくれたのは、福岡県市町村振興協会という財団法人であるが、この法人の「事業」の主なる財源は福岡県からの交付金、つまり税金である。

 現在、日本国内の公共施設や私企業等に常備されているAEDの数を、最も少なく見積もって仮に10万台としよう。そうすると、それに上述の単価をかければ、これだけでも購入総額は238億円という巨額となる。

 上述の化学工業日報によれば、2004年7月、AEDが医療従事者ではない一般市民でも使用できるようになった時から、市場拡大にあわせて売上げを伸ばしてきたフクダ電子は、2007年中の売上げ予想を3万台と見積もっている。この数字から推しても、またAEDを取り扱う業者は他にも数社あることからも、上の10万台という数字はきわめて控えめなものであることが分かる。

 問題は、かかる巨額をかけて国中いたるところに設置されたこの器具が、この巨額に見合うほどに使われているのかと言うことだ。それは全く怪しいと言わなければならないだろう。と言うことは、費用対効果の視点をもった国の然るべき部署がこの事態を適切にコントロールしているのだろうかということになるが、それもどうやら無さそうなのである。

 試みに、二、三の施設に聞いてみたところ、案の定、これまで一度も使ったことがないという答えしか返ってこなかった。

 ここに一つ参考になりそうな数字がある。2005年の3月から9月まで半年にわたって開催された愛知万博では、主催者は開催に先立って100台のAEDを用意したが、のべ2205万人をこえる入場者があったのに、実際にAEDを使用したのはたったの3件だったという(朝日新聞、2006/3/12)。

 因みに、この100台のAEDが、購入したのであれば2380万円払ったことになる。6ヶ月のレンタルだったとしても、その総額は、1台ひと月15000円だそうだから、900万円となる。

 200億円とか300億円とかいう、或いはもっともっと巨額のお金を投じて設置したAEDが、その耐用年数の経過する間にいったい何人の人を救うのか。これだけのお金をもし何かほかの急患向けの施設や設備に使えば、どれだけ多くの人々が救われることになるか、想像に難くない。関係政府機関には十分に均整の取れた資源配分の観点から適切な指導を望まなければならない。

 わずか数百メートル四方の区域内に5台もあるという無秩序な在り方をやめさせ、このくらいの範囲なら1台程度を効率よく使用する体制をととのえさせることである。AEDはそぐ傍になければ役に立たないので、それでは足りないと言う人がいるかもしれない。しかし、すぐ傍になければならないと言うのであれば5台でも足りず、20台とか30台とか40台とかいう数をそろえないといけないという話になるのではないか。

 多分ほかにも色々な反論が出よう。それらの反論が多くは現在の公的組織のすがたを反映したものであることは十分に予想される。 
# by ekisaitosuru | 2009-02-19 18:59 | 行政 | Trackback | Comments(0)

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